济公的传说
済公(さいこう)は南宋の紹興に生まれ、嘉定2年()に61歳で卒した。台州の人で、俗名は李修元、出家して道済との法名を名乗る。始め、杭州の霊隠寺にいたが、後に浄慈寺に移り、そこで亡くなった。 济公生于南宋绍兴,逝于年,享年61岁。台州人,俗家姓名为李修元,出家后法号道济。起初,在杭州灵隐寺出家,后来到了净慈寺,并圆寂于该寺。 ぼろぼろの僧衣と袈裟を付け、大きな破れた団扇を持っており、ぼさぼさの髪に、山なりの形をした帽子をかぶって、いつも笑っている。 人から狂っていると評されるほどの奇矯な行いで、戒律を守らず、酒肉を好んだ。 他身着破烂袈裟,手持一把大破蒲扇,蓬头乱发,头戴一顶山形的帽子,总是笑嘻嘻的。他行为古怪、不守戒律、好酒吃肉,世人皆称其疯癫。 浙江天台県に流布している伝によれば、表面上は破戒僧に過ぎない済公は、実は、十八羅漢の降龍尊者の生まれ変わりで、神通力を持つそうな。そして、世の不平を見るや義をもってこれを救い、貪官汚吏と対決する。しかし、それも真正面から行うのではなく、あくまで諧謔と風刺を交えて行動するのだ。また当時の宰相秦桧と対立することにもなっている。民衆の希望により、やや典型的な正義の味方になってしまった感はあるが、むしろのその故に、大衆に広く支持される活仏となったと言える。 根据浙江省天台县的济公传说,济公虽表面看上去只不过是个破戒僧,但实际乃是十八罗汉中的降龙罗汉投胎转世,神通广大。他扶危济困、惩恶扬善、癫狂济世,并与当时的宰相秦桧对立。虽说济公的传说是依照民众的希望所塑造出来一个有些典型的正义的形象,但可以说,也正是因为如此,济公成为大众所喜爱的活佛。 点击下方 |
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